朝刊に、3.11震災の「未来へのメッセージ」震災追悼式での文章が掲載されていた。
あの日、私はまだ、家族と一緒だった。皆、いた。長女も長男も(元)夫も。石油ストーブ1台で暖を取ってリビングに布団敷いてみんなで寝た。寒い日だった。ストーブにやかんかけてお湯沸かして、カップラーメン食べて。ガスとか電気は翌日復旧したかな?
私はあの時、デイサービスで働いていた。いつもより早く利用者を自宅に送り届けることとなり、信号の停まっている道路を運転して送り届けた時の怖さをまだ、記憶している。仕事の帰り、食材を求めてスーパーに寄ったが、陳列棚はガラガラで店内でろうそくの灯りが揺れていた光景。でも、家族四人でいた事実。
このメッセージを書いた人は現在高校2年生。当時3歳だったって。『つらい記憶はなく、本当に大切にされてきた記憶しかありません。』と綴っている。『当時の大人達が一生懸命、私たち子どものために力を尽くしてくれたのだと思った。「悲しさ」「つらさ」をできるだけ与えないように、大切に守って育ててくれた。』
この文章に救われました。現在の長男との関係。これは特に震災に限定した話ではないけれど。これまでの私の大変さ、苦労をあの子はあんまり覚えていないらしい。やっぱり、私も「私の思いを分かって欲しい。」という思いが強かったんだと反芻した。つい最近まで辛かったし、悲しかったし、くやしかった。…でも、今朝このメッセージを読んで救われた気がした。震災に限定した話では無いが、息子のこれまでの時間を私は守れたのかも…と思ったら、少し安堵した。